取り皿は取り分けるためにあるのだよ

私は品格だの常識だのは押しつけがましいので大嫌いなのですけど、池波正太郎先生の粋で鯔背な文章が好きで男の作法 (新潮文庫)を読んだ次第です。決してブガル女史が推薦していたからではありません。勘違いしないで!
それを読んでいて、食の作法で思い出したことがあります。或るガールとご飯を食べに行った時のこと。料理が運ばれて食べ始めたところ、ガールが大皿から料理を箸でつまんで口へ、箸でつまんで口へと運ぶのですね。取り皿を経由しないのですね。この料理あたしんだからと主張しているかのようなのですね。何故取り皿に料理を盛らないの?何故直箸なの?「これ、間接キス…だよね?」なの?愛してるのサインなの?今日は帰りたくない…なの?抱いて!めちゃくちゃにして!なの?などと若かりし頃の私は思ったわけです。取り皿を使うのが常識ではないの?と思ったわけです。そりゃあ私だって人の常識と自分の常識が違うことくらい心得ているつもりです。でもそれならそれで何故取り皿は用意されているのですか。食の作法に取り皿がneedだからではないのですか。
見かねた私はガールに取り皿がお留守ですよと言いました。ガールは「やだ、あたしってば無知ではんかくせ!」とかそげなことを言っていました。まったく、これだから箱入りガールは困る。きっとベッド上の作法も知らないのだろう。仕方無い、一からレクチュアして俺色に染めてやるかな。などと若かりし頃の私は思ったわけですが、ガールは終電があるからと言って帰りました。私は残された伝票をひとり見つめ、人生の儚さを思ったのでありました。